気が抜ける瞬間が最も危ない

みなさん、こんにちはヽ(^o^)丿

今日は私の体験談をお話します。

私の体験談。

職場での出来事でした。
ある企業に入社したばかりの頃、私はひやりとしたことがありました。

普段は、いかなる場合があっても上司の指示に従い、必ず自己判断をしないようにしていたが、そのときだけはどうしても指示に従えず、別の選択をしました。

仕事のできる人間が多く集まる部署だったこともあり、他の同僚たちは誰ひとりとして上司の指示を疑わず、私ひとりだけが別の選択をすることなりました。

この身を守りたいとき、誰を信じるべきか――とても重要なことを学びました。

気が抜ける瞬間こそ慎重に

私が体験した学び、それは「気が抜ける瞬間こそが最も危ない」ということを胸に深く刻み込むような体験でした。

職場で定期的に実施される避難訓練での出来事です。
誰もが予測しないことが起きてしまいました。

膨大なデータのマニュアルを必死に学び、ひとりひとりが切磋琢磨して仕事に没頭するような職場で、気が抜けないくらい本当に忙しく、とにかくハードな毎日を送っていた時期でした。

避難訓練で一体何が起きたのか――。

それは、上司の判断ミス。

いつも通り上司が指揮をとり、部署全員を誘導しました。
しかし、上司は判断を誤り、部署にいる全員を間違った場所へと誘導してしまいました。

仕事のできる人間が多く集まる部署だっただけに、他の部署も含め、関係者全員が驚き、深く考えさせられる出来事となってしまいました。

避難訓練といえど、失敗やミスは許されません。

一歩間違えると、全員の命を危険にさらす可能性もあるといえるでしょう。

誰よりも万能なイメージと実績のある上司が指揮をとっていたため、なぜこのようなことが起きたのか、本当に誰も答えが出せませんでした。

何度も打ち合わせをし、入念なチェックを入れ、これでもかと確認しあっていました。なぜ――?

上司が皆を誘導しようとしたとき、私はなぜか、上司の指示に違和感があったことを覚えています。

新人だったあの頃の私は何事も上司の指示に従い、絶対に自己判断しないようにしていたが、そのときだけは身を任せてはいけないような不安感に襲われました。

(打ち合わせ通り、間違っていないが……なぜだろう。)

その上司の判断は、何かが抜けているような気がしました。
普段は、視界をクリアにしてくれるような的確な指示を出す上司。

でもそのときだけは、まるでパズルの大切なピースが足りないような、少し言葉では言い表せないような感覚でした。

私は念のため、皆が並ぶ最後尾にまわって、辺りを慎重に確認しながら行動することにしました。

(あの上司が間違えるはずはない。何よりも仕事ができるメンバーが集まっている。誰ひとり何も言わない。私の勘違いなのか、ここは黙って様子をみよう。)

そう判断しました。

私の判断

常識的な判断をすると、上司の立場を考え、皆の動きに合わせてそのままついていくべきだと思いました。

新人の私が、誰よりも状況判断を間違えない上司や同僚に意見することは非常識だったからです。

ただ、万が一に備え、最後尾にまわるときは、上司や皆にわかりやすいよう、少し目立つような立ち回りをしました。

なぜ、ひとりだけ出遅れて後ろにまわるのか――そう思ってもらうために。

新人だから動きが鈍い、やる気がないのかと思われそうだと思いましたが、『避難訓練』=『身を守る大切な訓練』という認識がどうも拭えず、周囲に気を使いながらも最後尾にまわって状況を見守ることにしました。

あらかじめ避難訓練のスケジュールを把握しているからこそ、新人らしく早めに業務を切り上げ、率先して列に並び、上司や同僚を待たせないのが筋だと思いましたが、どうしても出来ませんでした。

仕方がありませんでした。

とにかく、とっさの判断をするしかありませんでした。

本当に地震や火災が発生したときのために正しい避難場所に逃げられるよう、ひとりだけちゃっかり最後尾に並ぶという自己判断でした。

それが、私の選択でした。
訓練でなければ別の選択もあったかもしれません。

あのときは、右か左か進むべき通路を決める状況でした。

他に方法はあったのか、何かもっといい解決策はなかったのかどうかを問われると、とても複雑な心境になります。

ベテランに囲まれていましたが、誰ひとり疑わない状況です。

上司の説明や指示も復唱してくれるようなものでもなく、とにかく部下を急いで移動させようと余裕がありませんでした。

何度も打ち合わせをしたからこそ、そこに「間違っている」という文字すら浮かばない状況でした。

せめて、誰かに上司の言ったことを確認すべきだったのかを考えましたが、私語を慎んで速やかに行動せよという雰囲気のなかでは対応が難しかったのです。

仕事での正しい判断として考えると『上司が間違っているという確信が弱いなら自分を疑うべき』だと判断せざるを得ませんでした。

ただ、実際に地震や火災があったときの正しい判断として考えると、やはり『身を守るために逃げる』ことが重要です。

本当の災難なら、周囲の反応など気にせず、意見すべきでした。

しかし、さらなるリスクを考慮するとなると、避難移動時に「上司が間違っている」と皆に伝えることは、他の部署も巻き込んでパニックを起こす事態にもなりかねません。

慎重に対応しなければならず、難しい選択だった。

自分で判断すること

その出来事は、私に大切なことを教えてくれました。

それは、いかなる場合においても『目の前の現実を疑うこと』。

避難訓練は、命に関わる重要な事柄。どう考えても、決して間違えてはいけません。

上司のミスだった――そのひとことでは済まされません。何かあってからでは遅いんです。

手遅れになってしまいます。

だからこそ、この身を守るためには、本当に自分自身で判断して行動しなければならない。

最も恐ろしいのは、常識的な判断です。

仕事中は仕事モードのスイッチが入っているからこそ、常識的な判断になりやすいです。

周囲に合わせる、上司の指示に従う、空気を読むなど、集団社会での反射的な行動に慣れきってしまっています。

いざというとき、生命危機に対応するための生き抜く直感を置き去りにしないよう、注意しなければなりません。
目の前の現実を疑い、自分で判断することが重要となります。

その姿勢がこの身を守るのです。

生き抜くために

こういった体験をすると、生き抜くために何を心がけるべきか考えさせられてしまいます。

目の前の現実を疑って生きているか、人に判断を委ねすぎてはいないか、あらゆる事態を想定して行動しなければいけません。

避難訓練を仕事の気休めのようには捉えてはいけないです。
命に関わります。

たとえ、仕事ができるメンバーに囲まれても「皆が正しい」と決めつけず、もっと現実を疑うべきだと思いました。

周囲を疑わず合わせて生きる、それが一番危ないのです。

ただ自分だけ助かればいいのなら、後ろに並ぶ、それも選択肢の一つかもしれません。
自分だけ良ければそれでいいということはありません。

私が考えた末に出した結論は、やはり勇気を持って上司に意見具申をするということです。

そのことで上司も自分の間違いに気づくかもしれませんし、別のだれかも私の意見に賛同してくれるかもしれません。

上司が間違っている確信が弱いとか、新人だから言いにくいとか、言いにくい雰囲気とか、そういうことじゃないと思いました。

勇気を持って意見具申。
それが一番大事です。

それではまた(‘ω’)ノ

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