読売ジャイアンツ、阿部慎之助捕手が引退!

みなさん、こんにちはヽ(^o^)丿

読売ジャイアンツの阿部慎之助捕手が今季いっぱいで現役を引退されることになりました。
プロ人生19年、多くのファンに支えられた巨人のスター選手でした。

阿部選手の引退を惜しまれ、寂しい思いで聞かれた人が、多かったのではないでしょうか。

プロ野球選手はサッカー選手などの別のスポーツに比べると、平均して引退の年齢は高いです。
しかし、阿部選手の40歳という年齢を考えると、体力面でかなり厳しいのが実際のところだと思います。

今回は、阿部慎之助選手について色々と調べてみました。

阿部慎之助選手のプロフィール

所属チーム 読売ジャイアンツ

出身    千葉県浦安市

生年月日  1979年3月20日

身長        180cm

体重    97㎏

血液型   A型

背番号   10

ポジション 捕手

投打    右投左打

経歴    安田学園高校‐中央大学

ドラフト  2000年ドラフト1位

年棒    1億6000万円(2019年)

家族関係

阿部慎之助選手の妻は?

阿部選手は2006年に、石田悠さんという会社員兼モデルの一般女性と結婚されています。
石田悠さんは、日産のミス・フェアレディーを務めていた大変美人な女性です。
奥さんの年齢は阿部選手の2歳下です。
2人の出合いは友人の紹介で、3年の交際期間を経て、2006年に結婚されました。結婚の記者会見では子供9人で野球チームを作りたいとおっしゃっていました。

子供は?

子供は長女、次女、長男の3人いらっしゃいます。
長女は2008年生まれで、名前は眞子ちゃん。

次女は2010年生まれで、名前は調べたのですがネット上にはありませんでした。2015年4月には次女が青山学院初等部に入学したと公表されています。

長男は2012年生まれで、名前は成真くん。

小泉麻耶との不倫報道

2012年、阿部選手の不倫が報道されました。
お相手は元グラビアアイドルの小泉麻耶さん、現在は女優もされています。

名前は似ていますが、元フリーアナウンサーの小林摩耶さんではありません。ネット上では、よく間違って書かれていたりします。

小泉麻耶さんです。

出身地  東京都

職業   元グラビアアイドル

生年月日 1988年7月2日

身長   164cm

血液型  A型

スリーサイズ W88・W60・H88 (Gカップ)

2人は2012年に野球選手とタレントの食事会(合コン?)で出会い、小泉麻耶さんから積極的にアプローチしたそうです。

阿部選手は小泉麻耶さんの自宅を訪れる際に、宅配業者を装って段ボール箱を手に持って訪れていたと報道されました。

さらに2014年には再び小泉麻耶さんとの不倫報道がなされています。

阿部選手は小泉さんに対し、離婚をほのめかすような発言をし、小泉さんの渡米を引きとめたらしいですが、結果的には離婚に至っておらず、阿部選手は家族を選んだといえるでしょう。

プロ野球人生を支えてくれた奥さん、子供達と末永く幸せに過ごしてほしいものです。

阿部選手の年棒の推移

2000年  契約金1億

2001年  年棒 1300万円

2002年  年棒 3800万円

2003年  年棒 7800万円

2004年  年棒 7500万円

2005年  年棒 1億2000万円

2006年  年棒 1億4000万円

2007年  年棒 1億4000万円

2008年  年棒 2億4000万円

2009年  年棒 2億7000万円

2010年  年棒 3億5000万円

2011年  年棒 4億円

2012年  年棒 4億円

2013年  年棒 5億7000万円 

2014年  年棒 6億円

2015年  年棒 5億1000万円

2016年  年棒 3億2600万円

2017年  年棒 2億6000万円

2018年  年棒 2億1000万円

2019年  年棒 1億6000万円

すごい金額ですね・・・

活躍と比例しているのでしょう。

阿部選手の経歴

阿部選手は千葉県浦安市出身です。地元の浦安市立浦安中学校を卒業後は、安田学園高校へと進学しました。

その後、中央大学に進学し、2000年9月にはシドニーオリンピック代表に選出されました。

また2000年11月のドラフト会議において、ドラフト1位で読売ジャイアンツに逆指名され、契約金1億円で読売ジャイアンツに入団することになりました。

読売ジャイアンツ入団後

2001年、阿部選手は開幕戦からスタメンで出場し、阪神の先発投手であった星野信之投手から4打点を挙げました。初年度は127試合に出場し、本塁打を13本打つ活躍ぶりでした。

2002年には、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞しました。

2003年、右肩の負傷があり、94試合の出場となりました。また、オールスターゲームにも出場しました。

2004年には、4月に16本塁打を打ち、これは王貞治の球団記録を更新しました。この年の後半には怪我もあり、最終的には33本塁打となりましたが、これは巨人軍の捕手として球団史上初の30本塁打でした。

2006年、ワールド・ベースボール・クラッシックの日本代表に選出されたが、前年の怪我のために辞退しました。

2007年からは、読売ジャイアンツのキャプテンとしてチームを引っ張り、オールスター第2戦では、MVPを獲得しました。

2009年、第2回WBCの日本代表に選出されました。この年に巨人軍捕手初となる通産200本塁打を達成しました。この年の日本シリーズでは、巨人が日本一を達成し、阿部選手も日本シリーズ最優秀選手賞(MVP)を受賞しました。

2010年、10年連続で2桁本塁打を達成しました。この年に40本塁打を達成し、捕手としては、球団初の記録でした。

2011年、5年連続となるベストナインに選出されました。

2012年、この年、3度の月間MVPを獲得しました。日本シリーズでは、読売ジャイアンツが日本一になり、自身もセ・リーグMVPに選ばれました。侍ジャパンマッチ2012の日本代表に選出されました。

2013年、第3回WBC日本代表選手として代表入りしました。年棒が6億円にあがり、松井秀喜と並ぶ球団最高年棒記録となりました。

2014年、この年に球団歴代本塁打数332本で並んでいた松井秀喜選手を本塁打数で抜きました。ゴールデングラブ賞を受賞しました。

2015年、右大腿部の肉離れにより、成績が思わしくありませんでした。年棒が1億8400万円のダウンとなる3億2600万円となりました。

2016年、この年は捕手での登録をしましたが、開幕戦で肩の違和感から登録を抹消しました。一塁手、指名打者での出場となり、プロ入り後初めて捕手での出場がありませんでした。

2017年、内野手として登録でした。この年に通産2000本安打を達成しました。   

2018年 ケガ以外の理由で開幕スタメンから外れました。代打での控え選手ということが多かったが出場機会はあまりありませんでした。

2019年、史上19人目となるプロ通算400本塁打を達成しました。

読売ジャイアンツの強打の捕手として、ジャイアンツを8度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた阿部選手、今後は監督としての道を進むのでしょうか?

引退後の進路についても注目が集まっています。

それではまた(‘ω’)ノ

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